泥の中のぐちゃぐちゃ

わたしはいちさんどろっぷ

指針

1-3dropから始まった挑戦は、Finals優勝という形でひとまずの成果を得たが、周りの祝福とは裏腹に内心には不安しか残らなかった。
数年をかけてやっと手にしたPT権利を継続できるとは全く思えなかったからだ。

何度思い返してもFinalsの日は運が良かった。下当たりからのトスもあり、相手側にリスキーなIDをすんなり受け入れてもらったし、SEラウンドで犯した致命的なミスも相手のミスが上書きしてくれた。決勝の場においても絶好の手札をキープできていなければ、このような結果にはならなかった。

勝ったものは皆運が良かったとは口にするが、私のそれは謙遜ではなく実力不足の確信だった。

権利を獲得したのはスタンダード、挑むPTはドラフト+パイオニア。そもそもの問題として、ドラフトが苦手中の苦手であることは自認していた。一人でMTGをしていた期間が長いこともあり、取り組む環境が全くと言っていいほど無かったのだ。
PTに出ていない競技プレイヤーがドラフトを練習する必要があるのは、リミテGPの前だけだ。

自分の場合は、闇雲に競技イベントに出まくっていたせいで、遊びとしてマジックをする機会さえ逃していたので、輪をかけてドラフトの経験が不足していた。

兎にも角にも実力が無いことは分かりきっていたので、少しでも何かを掴むために、練習時間の殆どはドラフトに充てた。

人生で初めてと言っていいほどドラフトに真剣になったが、PTの結果は0-3で見事に無残な死体が出来上がった。

おかげで折角組んだパイオニアを回す間もなく敗退を喫したわけだが、今後のMTGとの関わり方を見直すいいキッカケを得ることができた。

PTの前日である金曜日には、前日PTQとして5-0すると権利が得られる大会が行われていたのだが、そこで権利を獲得したプレイヤーが翌日のPTドラフトで3-0し、見事にマネーフィニッシュの好成績を残していた。

そのプレイヤーには以前から尊敬しているプレイヤーであり、面識もあったことから話を聞いたのだが、この環境のドラフトはPT時点で2度目とのことだった。

他にも、発売前週に3度だけドラフトをしたプレイヤーも、引いたレアを活かし切る4色デッキで3-0の成績を収めていた。

これまで私は、大会に向けて特定の環境をやり込むことで勝つことをイメージしていたが、上の二人のことを考えるとそれが正しいのか疑問に感じるようになった。

この二人は競技レベルやフォーマットに限らず、好きなタイミングで自由にMTGに取り組んでおり、使うデッキにも趣味趣向が出まくっている。
しかし、いつ見てもちゃんと勝っているのだ。

これはもう、MTGの総合力が高いとしか言いようがない。今までの自分の取り組み方では、環境のスペシャリストにはなれても、総合力の高いプレイヤーにはなれない。

毎週PTQを行脚する競技プレイヤーには、目の前の環境に取り組む以外の選択肢がない。
これは想像だが、総合力を付けたければ多様なフォーマットに触れ、いろんな視点でMTGと関わる必要があるように思う。

そのためには、これまでよりMTGに触れる時間が増えることが望ましく、そのモチベーションを保つためにも、楽しいと思える取り組み方を重視するべきなのだろう。

今後は、PTに出ただけプレイヤーで終わらないために、PTQに出る以外の選択肢も大切にしていきたい。